昭和38年夏 はじめての剣山

昭和38年夏 はじめての剣山

 

登山の記録整理していたら かなり 古い記録が 出てきました。

 

昭和38年(1963年)夏、 はじめての剣山 登山記録です。コースは コリトリ 一の森 剣山 見ノ越 夫婦池 剣橋でした。写真は モノクロです。

 

接続が悪いため 穴吹駅始発のバスに乗るためには 前日 穴吹へ行っておかなくてはならなかった。前夜 穴吹駅近くの 吉野川の河原でキャンプ。蚊が多く 寝られなかった。

始発のバスに乗る。

 

穴吹川に沿って 走るバスの車窓から、途中の看板。今でも この病院の看板は見かけます。

バスは工事中のところで 何度か 停車する。


とうとう 工事中とかで 結局 終点までは行けず、 バスを 降りたところ。旧木屋平村 谷口 集落か? ここから歩く。
山奥であり、道路の舗装はないが、 民家の家々も 何となく、活気を感じられた。当時 山村が 林業を主に 全体にわたって 活気を持っていた。
後日 調査したところ 美馬市木屋平 の「滝の宮」バス停と判明した。



45年後の「滝の宮」バス停


延々と 長い林道を歩いて やっと着いたら 、後発のバスが ゆっくり登ってきた。川上付近か?

コリトリ橋 ここから登る。朱色をした橋だった。

剣山山頂の測候所。

 

測候所の方と 玄関で顔を合わせ 挨拶したのを いまでも覚えています。

平家の馬場から剣山山頂を見る。

四十数年後の山村

四十数年前と 現在と 変化したと。

 

1 交通機関の発達

いまでは 山村でも 道は良くなり 舗装道路になりました。

登山のアプローチに自家用車を使えば わずかな時間で 標高の高い登山口まで 行くことができます。

1日で 軽く 日帰り登山ができます。

わざわざ 始発バスに乗るために 前日 夕方 バス始発駅周辺で 泊まることなど 必要ありません。


昔は 林道などないので 下の登山口から 歩きました。

登山のアプローチで 前後に歩く距離は 今の比でありません。
昔の人の方が よく歩いたとは その通りです。

 昔の人の方が良く歩いた

 


2 山村交通機関が不便だったころの方が 山村自体は 活気がみなぎっていました。


主力の林業 が 活況だったし、人口も多く 山村が 自立できていたのでした。

今 道が良くなりましたが 若い人は 村外へ 出て行き、 人口は激減し 、廃屋が目につき 山村は寂れてしまいました。 


3 登山者その頃の登山者は 若い人が多かったと 記憶しています。


私も 当時は 幼い年齢でした。
今 山で出会うのは 中高年ばかりです。私も その中高年となってしまいました。
山歩きは 中高年主体になってしまいました。時代の移り変わりを感じます。