やっとたどり着いた山頂。



やっとたどり着いた山頂。

眺望良好の絶頂で過ごす 貴重な至福のひととき。

山頂は 大勢の若い人々で 賑わっていた。

次世代を担う 若人が大勢 山に登ってくれるのは とても嬉しいことだ。

ただ 山頂で 気がかりなことに遭遇した。

多くの若者が 山頂での貴重な限られた時間をスマートホンの操作に没頭していたのである。

山頂での 貴重な至福の時間を どう過ごすか。

 ひとそれぞれ 山への考え、思いも ちがうはずなので、各自が 自由に さまざまに 時間の使い方ができるはずなのだが。。。

多くの若者が山頂で天候良好の素晴らしい眺望を 見ようともせずに 一心不乱に 極小画面の電子端末に拘束されつづけているのは 私には とても惜しい ことだとしか思えなかった。

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「 近くの眺望のいい場所に行って、東の空に一つ二つ星が光り はじめるまで、山と共に 夕映えの中にひたっていることが出来る。

こういう時に、何も考えずに ただ美しさに見蕩れていても いい。

それができれば一番いいかも知れない。

だが何も考えずに山を見ていることは案外難しい。」

『もう登らない山』 串田孫一 1990 恒文社

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GPS、スマホなど いまごろの電子機器は便利なもので うまく使いこなせば 有益な活用ができるものである。

だが 近頃は問題となる事件もあって、プロの将棋・囲碁では 対局中のスマホ使用は厳禁されている。

スマホなどの電子機器を利用した囲碁将棋では 人と人の対局で うまれる醍醐味というか 囲碁将棋本来の面白みが なくなってしまうのである。

おなじく 山でも 電子機器類の使い方を誤ると、山登りの面白さを大きく減じてしまう。

むかし 電子機器の なかった時代には、地図、磁石で読図、ルート判断し 自分でよく考えたすえに 行動し たとえ低視程のホワイトアウトの山でも しっかり確実に山を登っていた。

 低視程の中で読図して 五感を働かし ルートをはずさず、見事に目的地にたどりついた時の達成感は 山登りの達成感の中でも ことさらに大きいものだ。

反対に 低視程のもとで 安易なGPS頼りで行動すれば、目的地についても 達成感は低い。

安易なGPS頼りだと 登山者の読図力・地形判断能力は間違いなく減退してしまう。

乗り物が便利になり 歩く気力も能力も次第に減退するように 人間は 電子機器など 便利なものに接することで いろいろな能力をどんどん 退化させている。

山歩きの面白さを維持し続けるには 本来持っている 人間の能力を いつも使い切るようにしないといけないのではないだろうか。

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「 世界最悪の天候と言われる南アメリカのパタゴニア。
現在ではクライマーたちは町のホテルでパソコンを見つめながらチャンスをうかがうと聞く。精度の高い天気予報が頻繁に発信されるからだ。

25年前、深い森の中から、上空を殺人的な勢いで流れる雲を眺め、薄暗い小屋の中で小さな気圧計を見つめていたころとは、随分と変わってしまった。

ヒマラヤの8000m峰でも、登頂率を高めるため衛星電話をつかい、正確な天候、気温、風速風向などの情報を集めるらしい。

しかし僕は違うスタイルを選びたい。

たとえ登頂に失敗したとしても、氷河に寝ころんで気温の変動を肌で感じながら、稜線の風や雲の動きを観察して、出発するタイミングを見極めたい。判断をするという楽しみを失いたくない。

クライマー、いや人間は 便利といわれるものを使い、何かしらの能力を失い始めているのかもしれない。 」

『アルピニズムと死』山野井泰史 2014 山と溪谷社

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より困難な先鋭的登山を目指し、厳しい登山を突き詰めて実行している 超一流の傑出した登山家だからこそ こうした警鐘がいえ 実行できることなのだろう。

私など このところの山歩きで やたらと電子機器をたくさん持ちたがるのは ただ単に時代に流された平凡な登山者である証拠なのだろう。

正直言って 私には 電子機器を一切持たずに 登山する能力はないが より電子機器依存の傾向を改めていかなくてはとは 常々 思っている。

安易に電子機器に頼らずに行動する。

これが 山歩きを より深く楽しむための 基本中の基本だとおもう。