山を完全に味わう

-----------------------------------------------

「山を完全に味わう

 山を完全に味わうということは
そんなに ムズカシイことなのだろうか?

・・・そう たしかに

その山を眺めているだけでは 無理かも知れない

・・・だからおれたちは氷の斜面を攀じ
岩壁の棚に泊まりながら
その山嶺に達しようと

努力しているのだが・・・ 」

『白い城砦』芳野満彦 著 1970年 あかね書房

-----------------------------------------------
山歩きを 貪欲に 楽しむ極意は 山を登るのに いかに 苦労して登るか どうかにある。

快晴無風の いい天気でトレース のしっかりついた コースを 人の痕跡のとおりに 登る 雪山 もよいが、それより厳寒の風雪のなか 底なしラッセル、低視程でルートファインディング に苦労して 登るほうが  同じ雪山を登るのでも 10倍以上に 山登りを貪欲に楽しみことができる。

たとえ 同じコースを登っても、より すくない労力で 楽して 登れば 苦労して登るのに 比べれば、えられる感動は とても すくなくなる。

できるだけ 多くの労苦をして 登ってこそ 山登りの楽しさを より 深く味わえるというものだ。

このことは 便利な 交通機関を使わず わざわざ 歩き遍路で巡礼するのにも よく似ている。

ただし 山のなかは 危険が いっぱい。

だから 山の危険を十分 認識し、自分の技量 体力 経験など勘案して、 自分の 登るスタイルをきめ 装備、 登るルート、コース の選択も慎重に判断し 綿密に計画を練り上げて、自分が 安全に登山できる 範囲内で山に登らなくてはいけない。

あくまで自分の範囲内で より 多くの 苦労をして 登ることで より多くの 感動を えられる。

振り返ってみれば いにしえから 山に登る者は 山のたのしさを求め いかに苦労して登るかに こだわってきた。

簡単には登れない より 難しいバリエーションを 困難を 求めて、すこしでも 難易度を高め 続けて きたのも、山を もっと もっと 貪欲に楽しもうと 努力し 続けてきたからだろう。

だが
ひとつ 山を こえれば また 山がある。
さらに その先にも やま また やま。
また その先にも さらに やまなみが連なっている。

一山越えて また一山

-----------------------------------------------


「 山なみ

見知らぬ山が
幾重にも 幾重にも
遠く連なる

白い大波のようだ

僕の瞳は まるで
土管のように
頭の中へ筒ぬけだ

山 山 また山
白い大きな波
その うねり

それらが
日本アルプスでもヒマラヤでも
僕は いっこうにかまわない

その太古ながらの
静謐な白い波 」

『山靴の音』 芳野満彦 著

-----------------------------------------------

平成24年2月25日 記

 

このページの先頭へ