厳しい 風雪に耐える 案山子(三好市東祖谷 名頃)

■徳島県 三好市 東祖谷 (旧 東祖谷山村)

厳しい 風雪に耐える 案山子。
案山子の里 名頃 平成25年1月撮影。
案山子製作者Aさんは それぞれの案山子に かつて集落に暮らしていた人や亡くなった家族をモデルにして その人を思い起こしながら 案山子をつくっているという。


 2006年 東祖谷山村など4町2村が合併し 三好市になった 当初 名頃地区は93名だったのが いまでは激減。
2013年(平成25年1月現在) 25世帯 51人の住民。

案山子には 山里の 多くの思い出が こめられている。



■大正九年(1920)~平成二十二年(2010)までの 旧 東祖谷山村(現在 三好市東祖谷)の人口推移

ピークの昭和30年国勢調査で人口は 8974人。以降 急減。平成22年調査で 1627人

 山里の集落が大いに 賑わったのは昭和三十年代頃なのだろうか

祖谷川 最上部に 昭和36年完成した名頃ダム。
昭和35年頃 ダム建設工事中は多くの建設従事者などで 祖谷川 再奥の集落名頃地区は大いに賑わっていたとか。

勿論そのころは 林業が山里の基幹産業。盛んな林業の うえに ダムの建設もかさなり とても活気があったという。

■ダム建設から 半世紀過ぎて その間 林業が 衰退して 近頃では 全国的に どこの山間地でも 地域の雇用を支える 主力産業は 土木建設業になっていった。

 全国の例と同じく この 四国山地の 奥深い山の中の三好市東祖谷(旧 東祖谷山村)では  林業が衰退し いまでは 数少ない地元の雇用を
土建業が になっているのが現状だ。

■土木工事でも 「京上トンネル」のような超大型工事は全国大手業者。

現在施工中の「下瀬トンネル」などの大型工事は徳島県内 特Aランク業者。

そのほかの  地域の、治山・治水・砂防・道路・河川などの ほとんどの土木工事を 東祖谷の地元建設業者がにない、衰退した林業にかわって
地域の産業雇用を支えてきた。


東祖谷 土木工事 Aランク業者(徳島県)赤印 

■その地元 東祖谷 土木工事 Aランク業者(徳島県)が ここにきて 異変。

2012年 旧東祖谷山村内での 徳島県土木Aランク業者は10社。
(他に 規模のぐっと小さいBランク2社、Cランク3社)

だが 昨2012年11月「N1建設」、 2013年2月「N2建設」、の東祖谷の土木Aランク業者(ともに名頃地区)2社が破綻。

長年続いた 公共土木工事の減少、地方経済の低迷が破産の要因らしい。

■ 破綻した2社の建設従事職員数は 計25名。2社の年間完成工事高は合計約4億円。

名頃集落で住人は51人。 2社25人分の雇用が失われる。

山間地の高齢者割合は高く、他地区から勤務していた方 他地区へ勤務する人を かりに勘案しても 居住人口の半分を占める雇用先が無くなってしまうのは とても深刻な事態だ。

林業の衰退に続いて 建設産業も衰退という ダブルパンチ。

林道を つくっても 林道沿いの間伐 枝打でさえ 行われないほど 衰退した林業の現状では 不要不急の いらぬ林道工事など無理に建設することなど いまさら 財政的にもできない。

林道を つくることだけに意義があり、林業に けっして使われない林道をつくることなど できる時代ではない。


2013年1月 雪深い 名頃 集落

■このところ 旧 東祖谷山村内で やたら目につくのは間伐 枝打ちなど 手入れの なされない 放置林のほか、真新しい墓石、耕作放棄地、廃屋など、など。。。

児童数 減少で 名頃、菅生、落合、栃の瀬など 各小学校は下瀬の東祖谷小中学校へ統合され 廃校。


■シカよけ柵 あっても、人の数の いったい何倍もの数のシカが いるのだろうか?

人里から山稜まで おびただしい数のシカが増殖し とかく野生動物が跋扈しているのは 野生動物とはいえ かれらも人間の活動との関わりのなかで増減しているだけのこと。

もとをただせば、豊かな森を 拡大造林・皆伐・そして林価低迷で 再造林放棄、 まったく手入れせずに放置林にしてしまった 人間の過去の罪業が、奥山の自然を荒らして、山域の林業を衰退させ 山里を苦境に陥れ さらに山村の衰退、 シカの大繁殖になって ブーメランのように跳ね返ってきている。



■高齢化率が ますます高まっていく 山間地の苦境は 全国的に共通な問題。

補助金で間伐しても 運び出すこともできず 切り捨て間伐。

 豊富な自然や 森林 資源という 目の前にある宝の山が せっかく あるのに 山村の活性化に なんとか生かせないものか。

問題は 複雑で 即効の特効薬などあるはずもない。

こうした 袋小路につまり とかく 苦しい時ほど 人間は目先の問題に目が向きやすく、近視眼的な見方で 物事を見て行動してしまい、「木見て 山見ず」になりやすいものだ。

目先でない 抜本的な 対策をもって 大局的な 考えをしていかないと いけないと思う。





長年 この山域を登らしてもらって 栄枯盛衰をみてきた 一登山者の立場として 名頃地区にかぎらず 山域の集落、かつての賑わいが 再び呼び戻ってくることを願うばかりだ。


名頃から見上げる 三嶺

2013年3月5日 記

 

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